ドラマ演出・映画監督 星護 第1制作部。キャリア29年。フジテレビ枠で「IQエンジン」「征服王」などを撮り、「奇妙な出来事」でドラマデビュー。映画「僕と妻の1778の物語」を2011年に公開。

ドラマ演出・映画監督 星護

星    この演出というのをやっていますけれども、面白いんですよ、これ、実は。
何が面白いかというと、いや、このテレビの職業というのは面白いんですよ。一般的に言って面白いんですよ。例えばテレビの仕事というのはカメラマンがいたりとか、あとディレクターがやったりとか、プロデューサーがやったりとか、特に取材というのを多くやるんですね、共同テレビでいうとね。そうすると、一般の人生で見ることのないものを見ることができるわけですよ。
僕だってこれまで、ドラマでもそうだし、ドラマ以外のことをやっていた時も含めてそうだった。例えば工場の中を見てみたいな取材があって、それだけでも面白かったりしたし、例えばこれは2005年にアフリカ取材した時に、普通、人って地平線って映画の中で見るけど、日本人って地平線に立つ経験ってないじゃない。

── はい、ないです。

星    アフリカの国立公園にナイロビから移動していって、そこで何日か取材して、その時は道をテーマにした半分ドキュメンタリーみたいな作品だったんだけど、帰る時にこういう何もない風景に来て、向こうに遠くにかすかに山脈が見えるという、ここはシルクロードかアフリカかみたいなところだったのね。
そこでまず(車を)下りて、ここで何カットか撮ったの。
こういった風景に例えば立てるということは魅力なんですね。

星    あと古代ローマの2,000年前の道で、今でもローマの近郊に残っている古代ローマの、今はでこぼこになっているけどそこから一度も変わってない石畳の道を見て、そこで何カットか撮影して、古代ローマ軍の服装の兵士が行進してくるというイメージの画を撮ろうと思って20人に発注したのに、イタリアの現地人が経営しているコーディネート会社がすごくぼる会社で、エキストラを写すのに1人1日5万円だとふっかけてきて。

── えーっ。

星    日本だって5,000円でしょう。絶対日本より安いくせに、ぼるなと思って、交渉して、結局それが6人になってしょぼい画になっちゃって。
それでも撮れてうれしかったというのはね。そのときに先頭の2人は、芝居ができる人というので現地のコメディアンというのを雇って。雇ったら、コメディアンだから通訳でもやっぱり悟ってくれて、すごい面白いわけ。「あなたたちは古代ローマの兵隊ですよ、これからこの道をずーっと歩いて行ってエジプトに遠征に行くんですよ、こう歩くシーンを撮りますよ」と言ったら、「エーイ、ハッ!、アン・ドゥ。アン・ドゥ・トロワ」はフランス語か。ウノ・ドス・トロワ。ドスだとスペイン語か。

── そうですね。

星    ウーノ・ドゥエ?あ、ウーノ・ドゥエ・トローワ(トゥレ)、トゥ・トゥ(笑)、そういうシーンを撮ったりとかね。
そういう体験とかできないじゃない。ヨーロッパ人の役者と話をする、そういう体験。
それで、ドラマや映画の監督をやると更にまた面白いんですよ。
そこから本題にいよいよ入るんだけど、例えばこれは僕の映画の脚本です。実際に使っていた脚本です。
いろいろとこうやって。後でこれ、写真を撮ってほしいんだけど、いろいろこうやって、なるべく絵を、人に見せないまでも自分のイメージを固めるために、僕は絵は下手なんだけど、自分しか見ないと思って下手な絵をいろいろ描くわけね。
普通のカット割りはこうやってやるんだけれども、いろいろな絵を描いて、どうしてもスタッフに伝えたいあるシーンの、例えば(劇中の)短編のシーンとかはこうやって下手だけど取りあえず描くわけ。
あと、クライマックスで北海道に旅するシーンのカメラワークとかいうのは、現場で時間がないことは分かっているから、全部もうカットを指定して描くわけね。完ぺきにその通りに作ってもらったりとか。あと、CGなんかも描かないといけないので、絵コンテ屋さんに頼んでもいいんだけど、間違って解釈されると嫌なので僕は自分で描くわけね。
少なくとも構図と言いたいことは分かるじゃない。
下手でもいいんだ。うまい人がどうせ作り直してくれるから。

星    こうやると何が凄いかというと、例えば僕が眉村さんの短編で、実際に書いた短編を映像化すると…。
ロボットが夢の中に出てきて、「一緒に付いてきてください」と家の外に出たらロボットたちが待っていたと。
「私たちを案内してください」と言われて、ロボットたちは砂漠を横断して歩いていきました、という画ってこんな感じだなと思って、どこかのファミレスか何かで描くわけじゃない、こういう裏にさ。なぜか金田一と橘所長と書いてあるんだけど(笑)。仙人峠と書いてあるけどね。

これがどうなったかというと、ここからがスタッフにこれを依頼すると、また彼らもこうやって(CGの)試作品をちょっとずつ作ってくれて、やがてだんだんと絵の形にしてくれるわけですよ。こうやって、だからこれまで見たことがなくて見たかった風景を見に行くだけじゃなくて、自分が見たかった風景をつくることができると。これがドラマや映画をやっていて監督の醍醐味の筆頭ですね。
それは必ずしも監督がイマジネーション豊かだからと皆さん思ってくれるとしたらそれは大間違いで、1人の人間がそんなにイマジネーション豊かなことはないんだけど、だから逆にほかのジャンルの、例えば絵画を見たりとか、あるいは文学を読んだりして、何かのヒントを得たものを自分の中で再構成してやって、時にはもうちょっとイマジネーション豊かなスタッフとかを呼んできて、こういう(ロボット)バトルの絵の、僕の描いた下手ないいかげんなものがこうやって(実写とCGで)うまく、面白く作ってくれると、おっ、面白いと言えるでしょう。
こういう楽しみですね。監督が全部、完ぺきな商売になる絵を描く必要はないって。

星    でも、例えばこれは1号との別れで、僕は、これ、下手だけど一応切ない感じは雰囲気が出ていると思うんですよ。
相手がロボットだけど別れが何となく切ないという、その切なさを、じゃあ、シーンとして、撮っているうちに何となく誰かに任せて撮ったら、その切ないという実は自分が一番大切にしていたムードが出なかったりということがよくあるんだけど。監督になるともう画作りは任せて、ただ大事なのは自分が初心を忘れずに、切ないという感じの画が切ないという感じに見えるように出来上がっているか、実際、出来上がらない方が多いので、「皆さん、ちょっと抽象的に言って申し訳ないんだけど、実はこれ、切ない画(映像)にしたいんだけど何で切なくないんだろうと思っているんだけど、何で切なくないの?切ないような画にして」、とか無理難題を言うわけ。言われた方も困るよね。でもみんな、やっぱり監督のやりたい作品を事前にいろいろ相談して心が打ち解けてきていると、ああ、監督がそう言っているんだから、もうちょっと切なくしてやるためにはどうしたらいいかって、みんなひそひそ話が始まるんだよ。
ちょっと照明、あそこを動かしてみて、と照明さんも動き始めるし、カメラマンもちょっとこうやって、シンメトリーじゃ、センターに行った方がいいんですかね、と向こうへ行って、ちょっと待って、玉の長さを変えてみますとか言って、カメラをがーっと引いて望遠レンズを付けてみるとかね。そうやると、何かをどういじったか分からないうちに切なくなっちゃうことがあるわけ。

そういう、最終的には、ほら、人の感情を画面を通して感じる。つまり、これは言葉で切ないと書いてあるわけじゃないから、それはうまくいけばいいし、役者が出てくれば、結構彼らは天才だから、たたずまいで、切なくなるようにやっぱりできるんだけど、たいてい役者に頼っています、切ないのは。ロボットだったらどうするみたいな。
でもそれを何とかしてやる努力をするという職業なわけで、その切ない画という、自分が空想して、できるかな、できないかなというのを。
だから感動があるわけ。撮りながら、ああ、こうなるんだという、ちょっと他人になるわけです、その瞬間ね。
だから僕は、監督の職業ってこんな言い方もできる。『初めての観客』。モニターごしに、例えば役者が芝居をするときに、世界で初めて見るわけね。
周りのスタッフもそう。僕らはこういう漠然としたもの、こんな感じかなと言って、実は思い通りに撮れるものじゃなくて、その日の天候とかロケ場所とかによって、ああ、こんな画になるんだというのを同時に思いながら撮るわけね。そこで、思いがけない美しい日差しが来たりとか、思いがけなく日差しと人間の立ち位置がマッチしているときに、絵みたいだなと思って感動するわけね。
発見なの、実は。それは努力した結果出る偶然の発見でうまくいく。偶然が出やすいようにするというのも監督の技量の1つなんだけどね。 そういう仕事ですよ。

もしあなたがこれまで世の中になかったような素晴らしい風景を見たいと思って、例えばドラマの監督、映画の監督を目指して、あなたが本当に奮闘努力して、もう十何年も勉強してやっと撮らせてもらったときに、
あなたがその10年間勉強してきたことが試されるときで、それで例えば感動できる切ない画だとか、笑っちゃう画だとか、そういうものを創れれば入ってくれという感じです。
創れるやつに入ってほしい。

でもどういうやつが創れるかは実は誰にも分からないし、たぶん本人が一番分からない。だから取りあえず好きなやつに入ってこいと言うし、好きなやつが入ってきたら勉強しなさいと言うし、勉強しなさいといっても具体的なことは会社は言わずに、今日これをやれ、明日これをやれ、明後日あれをフォローしろと言って怒られてばかりだから、空き時間であなたは勉強しないといけない。たまに年一回くらいは誰かが言うかもしれないけど、毎日は脇で誰かがしゅっちゅう言ってくれないから、自分が自分に言い続けてやるしかない。人によって差は開くかもしれないし、開かないかもしれない。
下手に変な勉強をしてそれで余計な演出をしたら、それでお前は余計な演出をするからもういらないと言われる可能性もあるんだけど。そういう職業ですよね。

でもそこにやっぱり一番の喜びを見いだして。そうすると、苦労はやっぱり報われるね。それどころじゃなくて感動して泣いちゃったりするからね。
例えばこのシーンというのは一応構想は立てるわけね。
ほら、月の中でキスするシーンというのがあります。死にゆく妻にね。一応は何となく頭の中にイメージがあるんだけど、忘れないようにこうやって絵を描いておくわけね。あとはこれと補足する言葉で、こんな感じで、こんな感じでとスタッフに見せながらやって、こっちは青みがかった場面で、流れる音楽のイメージは例えばベートーベンの『月光』が流れて、月の光がふっと入った瞬間に、音楽の『月光』が無音の中に聞こえるような、そんな画を撮って。美しい画で、とにかくきれいな景色を撮る。
顔はあまり見えない方がむしろいい。
と言いながらこうやっていって、○○君にはまた芝居があるからこう説明して。
そのときに監督がこうやって声を潜めて演技をするわけ。
ムードをなるべく出そうとして、静かな気持ちで、詩みたいに。分かりますか。

── これはもう、音のイメージというのは同時進行ですか、カット割りと。

星    僕は同時進行にだんだん慣れるようになってきた、長年の後に。さっきちょっと言ったことなんだけど、映像も最初は、人からもらった仕事とか、自分が例えばシナリオライターとつくった仕事というのは、漠然としたものがあるんだけど、こういう(脚本の)言葉を実際カット割りで監督って事前にスタッフに指示するという計画をつくるときに、無理やりその場を想定しながら、何歩歩いたら振り返るとかいうのを想定しながらやるから努力が必要なんだけど、10年もやっていると読んだだけで瞬時にカット割りができちゃう。
例えばこれだと、僕は一応最初のカット割りというのは読みながら全部できている。
音楽も、ここに音楽、普通来たらいいよねというのは職業柄分かっている。でも誰でも分かるでしょう?
砂漠を進んでくる朔太郎と旧型ロボットたち。さくさくさくさくっと砂漠を進んで、そのときに丘の上から新型ロボットがどっと出て。向こうからね。さっきの絵にあったけど、悪の軍団みたいなのが現れ始めるじゃない。その瞬間、音楽を鳴らせてもいいじゃない。バン、バン、バン、バン、ドド、バン、バン、ドスン、ドスン、バン、バン、ダダン、何とか。
いろいろあるよね。あるいは、パーン、パパパパ、パンパン、ダダン、パンパンとか、リズミカルにいってもいいし。
でも一応、ドンドンの方がよさそうじゃない?バンー、バンー。

音楽を作曲家に発注する経験を積んでくると、ある程度は音楽を発注したりというのも何となくできて、ティンパニーを使うとかいうのが何となくできてくるんだね。ここは金管でとか言って、パーン、パーン、ダダダン、パン、パン、すき間の音楽。ここは効果音を大事にして、パン、パン、パン。ここで何か効果音と現実の音が、新型ロボットだーみたいなのが鳴っていたりして、ダダダン、バン、また大きくなる。そうすると、作品のセリフと映像と音楽が連動するのを感じる。
実は自分が職業で何をやりたいかと学生のころから思っていたのは、映像のカット割りと芝居とストーリーと音楽が単に三位一体、四位一体になったときに、僕は学生のときすごい感動していた、あ、かっこいいなと思っていたので、自分もそういうことができる職業になりたいと思っていたから監督を目指した。
言えば誰でもそれって分かるでしょう。新型ロボットだーっ、と向こうから押し寄せて来るなり、ダダダーン、ダン、バン、バン、バンみたいになったりとか。 あるいは、簡単なことだけれども、感動的なシーンとなるとまた別なんだよね──