ドラマだらけな現場から
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第64次南極地域観測隊に同行
あたりまえはあたりまえじゃない!
地球や日本の未来のために今、思う事
現場には常にドラマが溢れてる!一分一秒を争う中継、真剣勝負のバラエティ収録、ドラマや映画撮影。そして、ドキュメンタリー。映像現場のリアルを伝える“ドラマだらけな現場から”企画。
第二回の現場は第64次南極地域観測隊の同行者として2022年11月~2023年3月末まで観測隊と行動を共にし取材撮影を行ったカメラマンディレクター(※1)坪谷健太郎。あの時、あの場所では一体何が起こっていたのか!? 現場のリアルをお届けします。
史上最強の吠える40度の洗礼を受け辿り着いた昭和基地
フジテレビの撮影クルー3名の中の一人として選ばれた坪谷。3名しか枠がないため、ディレクター業務もできるカメラマンであり北極取材経験もあった坪谷は適任だとフジテレビ局員に推薦された。
メンバー構成はフジテレビのプロデューサー兼記者、中継のスキルが高いカメラマン、そしてカメラマンディレクターの坪谷となった。
観測隊の仲間になるためにクリアした4つの試練
第64次南極地域観測隊の同行者としての道のりは、2021年12月フジテレビからお声掛けをいただき始まりました。ディレクターもできるカメラマンという事もありましたが、「なんでも一生懸命やる」ことが評価されたのではないでしょうか(笑)。
2022年1月に国立極地研究所を訪れ数社コンペの中、研究者たちを地球に立ち向かうヒーローに見立てたフジテレビの企画が通り第一関門を突破。その後、2月と3月に国内で冬季訓練を行い南極地域観測隊員候補者および同行者候補者全員でチームを組み冬山を登り一泊するという第二関門を終え、さらに人間ドッグで身体チェックという第三関門をパス。そして最後の関門として、2022年11月11日の出港に向け11月3日から一人一室を与えられ隔離生活が始まりました。検査でコロナ陽性だったら一発アウト!同行できなくなるので本当に緊張した日々を過ごした後、無事に出港することができました。ようやくスタートできたと安堵致しました。
南極地域観測隊としては初となる東京・青海から出港した第64次南極地域観測隊員と同行者を乗せた南極観測船「しらせ」。南緯40度を越えると海が荒れることは想定内であったが、実際には予想をはるかに超える荒れ狂った海を進むことになる。
吠える40度の激しい洗礼を受けるも船酔いせずに乗り切った
食料等の補給のためオーストラリアに寄港した後、南極へ向かう途中の海域は荒れ狂う場所として有名です。「吠える40度、狂う50度、絶叫する60度」と呼ばれ、南緯40度を越えると海上はどんどん荒れ始めるということでしたが、その時は6mを超える波が押し寄せ、船は傾斜30度程をいったりきたりする状態が一週間程続きました。
食事もトレーを抑えないとまともにとれず、みんなで「わ―わー」言いながらなんとか食べました。まっすぐに歩くこともできずに本当に大変でした。そんな中、僕は船酔いしなかったので助かりました。
僕が乗船した「しらせ」は二代目だったのですが、二代目しらせ史上最大級の大荒れだったそうです。
いよいよ昭和基地に到着する直前、氷上偵察のヘリコプターに坪谷は同乗することになる。さらにその後、第一便という物資を運ぶヘリにも同乗。第64次南極地域観測隊員が来るまで約一年間昭和基地を守り抜いてきた越冬隊員全員がウエルカムの旗を持ち待っていてくれた。
たった30人程で昭和基地を守り抜いた越冬隊員がお出迎え
偵察用のヘリコプターに同乗し、上空から初めて昭和基地を撮影するという大役を担うことができました。昭和基地が見えてきた時は「ラピュタって本当にあったんだ…」というような感激を味わいました。
さらにその後、第一便という物資を先行して昭和基地に届けるヘリにも同乗させてもらったのですが、その時、越冬隊員の皆さんがウエルカムの旗を掲げ全員で待っていてくれたんです。「ああ、この人たちだけでこの場所を守りぬいてくれていたんだ」と熱いものがこみ上げてきました。
おさかなチーム研究者の熱く前向きな姿勢に感激!
いよいよ南極に到着し、坪谷が研究に密着したのは“おさかなチーム”。ほとんど知られていない南極の魚の生態系を解明するために結成されたおさかなチームの研究者たちは未知のおさかな研究に心躍らせていた。しかし研究スタート前から暗雲が立ち込めることとなる…。
熱い魂とどこまでも前向きな心で南極での体験を徹底的に楽しむ!
魚に発信機をつけて南極の魚の生態を調べるために、実際に魚に発信機を入れる前に発信機と受信機がきちんと動くかどうか、水に沈めてテストを行うことにしました。すると、発信機がまともに動作しないことが発覚します。発信機が動かなければ研究はできませんから「一体どうするんだ⁉」と非常に焦りました。しかし観測隊員の皆さんは本当にすごい。それぞれの分野のプロフェッショナルが集結しているわけですが、その中のお一人が発信機を直してくれた。おかげでなんとか、おさかなチームは研究をスタートすることができました。しかし、やはり壊れてしまった発信機もあり十分なデータをとることができませんでした。
さぞかし研究者の皆さんは落ち込んでいるだろうと思ったら、おさかなチームの皆さんは本当に熱い気持ちを持った前向きな人々で「よし!方針転換だ!」と、気持ちを切り替えて今度は南極に生息するライギョダマシ(※2)という巨大魚を釣り上げることにします。それまでも観測隊の間では、閑散期の冬にイベントとしてライギョダマシを釣っていて、過去には全長157㎝という巨大魚を釣り上げたこともあったそうです。しかし夏に釣ったことはなかったので研究として釣ってみようとなりました。ちなみにライギョダマシの味は脂のたっぷりのった銀鱈のようでとても美味しいです。南極料理人の方は“ホタテの貝柱”と表現されていました。
大きな魚ですから、クエを釣るような短くて強い竿を使い、爪楊枝程の太さの釣り糸にマグロ用の釣り針をたくさん設置し、リールは自動で巻き上げられるようにドラムコードを手づくりしました。650mもの深海にいますから巻き上げるのは大変です。結果は…残念ながら釣れませんでした。しかし!珍しい“卵食い”をしているショウワギス(※3)を釣り上げることができた。卵食いとは、卵が口に入っていたり胃に入っていたりして、卵を食べている状態の魚のことです。卵食いをしている魚自体が珍しくて、研究者の皆さんもその事実を確認できたことに興奮していました。ショウワギスの卵食いを釣り上げたことはもちろん初めてですから、持ち帰って何の卵を食べていたのか研究するそうです。
坪谷が寝泊まりしたのは第二夏宿舎と呼ばれる場所。昭和基地には管理棟、第一夏宿舎、第二夏宿舎があり、管理棟には主に女性隊員と越冬隊員が寝泊まりし、管理棟と第一夏宿舎には食堂やお風呂、トイレがあるが第二夏宿舎は食堂も湯船もトイレもない。厳密にいうと室内に大をする場所はあるが、小は外でしなければならない。ブリザードも起こる南極において過酷な条件である。
一番過酷だったのは“ションポリ”運び⁉
第二夏宿舎には食堂がなかったのでブリザードが起きても食事のために風速30m近い風の中、体を持っていかれそうになりながら徒歩5分程離れた第一夏宿舎まで宿舎と宿舎を繋いだロープにカラビナ(※4)を使って移動しました。滞在していたのは南極の夏にあたる時期でしたし、高機能な服を支給していただいていたのでとても快適に過ごすことができました。
トイレはなかなか大変でしたが、それにもまして痺れたのが“ションポリ”運びです。当直と言う役割があり、当直になると共有スペースの掃除をしたり、ゴミを持ち帰るために処理をしたりするのですが、その中でションポリ運びという仕事をしなければいけません。ションポリとは皆が用を足した小の入っている容器のこと。これを浄水システムがある場所までリヤカーで運ぶのですが、ションポリが倒れたりしないように抑えていないといけない。舗装されていない道を進むので飛び散るのです。その役目はなかなかのものでした(笑)。日本の現代社会ではおそらくしないであろう体験をさせていただきました。
「南極での経験を経て今、思う事」
南極は真っ白な世界だと思っていました。しかし実際には氷にも白だったり青だったり水色だったり深い青だったりいろいろな色があることを知りました。そして南極の夏は白夜ですから夕暮れのマジックアワーが長く続きます。凍った海の先に見える大陸はまるで巨大な氷の壁のようでした。ものすごい存在感を持って広がる地球の景観にただただ圧倒されました。
私たちが暮らす地球にはまだまだ分からない事がたくさんあり、その謎を解明すべく努力を続ける研究者の皆さんはまさに我々のヒーローです。そして医者や建物等の設備士、料理人等、真にプロフェッショナルな人々と共に生活をした約4カ月間は日頃の自分の生活がいかに“誰か”の手によって支えられているのかを骨身に沁みて分からせてもらった日々でした。快適な日常を過ごせるのは、誰かが快適を創ってくれているから。“あたりまえはあたりまえじゃないコト”に気がつかせてもらいました。そして…自分がこんなにもホームシックになるとは思わなかった数カ月間でもありました。家族と離れる時間があんなにも寂しいなんて(笑)。そんな自分も発見することができた貴重な時間でした。これからは、あたりまえの日常に改めて感謝しながら日本や地球の未来のために学校教育の側面からも自分に何ができるか考えていきたいと思っています。
※1 通常テレビ番組ではカメラマン(技術職)とディレクター(制作職)がそれぞれ専門職として分かれており、番組に必要な映像をディレクターが決定し、その意向を受けてカメラマンが撮影する。その中でカメラマンとしてのプロの撮影技術と、ディレクターとしての取材力の両方を持ち、一人で取材できるスタッフを共テレでは「カメラマンディレクター」と称し育成している。
※2 ライギョダマシ…南緯60度以南の南極海に分布する。最大で2m程度にまで成長すると言われている。
※3 ショウワギス…体長10~20㎝の魚。
※4 カラビナ…登山道具の一つ。ロープとハーネス等を素早く繋げることができる。
坪谷健太郎
メディア戦略室
プロデューサー・カメラマンディレクター
2005年、当時の取材技術部に入社。「カメラマンディレクター」として、撮影とディレクションの両方を担当し、『とくダネ!』ディレクター、『直撃LIVE グッディ!』専属カメラマン等、報道・情報番組の分野で数多くのニュースを取材・撮影。
2022年発足のメディア戦略室に異動後は教育分野にも取り組み、未来を担う子どもたちのための新たな教育プログラム作りにも力を入れている。
(2023年4月取材)