RECRUIT
instagram
MY PAGE
MY PAGE
ENTRY NUMBER 04
長編記事公開

2005年入社
第1制作部 監督
D.Y
制作実績
(番組名・順不同)
・ストロベリーナイト・サーガ
・世にも奇妙な物語 など
イメージ
弁護士から演劇、そして番組制作へ
法学部を専攻していたため、大学入学時は「弁護士になろうかな」と考えていました。しかしながら、豊富な知識をもつ周囲と競り合っていくことに辟易し、弁護士は諦めることに。やがて志したのが、法学と同様に興味があった演劇です。実際に大学で演劇に関わる機会もあり「このまま劇団で食べていけたら」と思ったのですが、現実を見るとなかなか劇団だけで生活費を稼ぐことは難しく、やむなく諦めることに。「きちんとお給料がもらえて、モノを作る仕事を探そう」と改めて考えた末に見つけたのが、ドラマや映画の作り手でした。
その中で見つけた名前が、共同テレビです。「ドラマに強い番組制作会社」というイメージがあったことや企業として規模感や組織体制がしっかりしていると感じたことが、入社の決め手です。
イメージ
イメージ
ミスを一つも起こさなかった日はない
ドラマの作り手を志して入社した共同テレビでしたが、最初に配属された現場はなんと“バラエティ番組”。正直、愕然としました。「もうドラマを作るのは無理なんじゃないか」と考え、最初の2年間は毎日転職サイトを見ていたほどです(笑)。その後、バラエティ番組の現場で数年経験を積んだ頃に、当時の『ドラマ部』へ異動できることに。念願のドラマ制作に心は躍り、バラエティで鍛えた現場力を手にいざ現場へ向かいましたが、本当のハードルはここからでした。
まず、バラエティ番組で培った方法論が通じない。役者の対応からスタッフとのコミュニケーションまで何一つ上手くいかず、最初の数年間は毎日のように怒られていました。また、ドラマ制作職は4th助監督から始まり、3rd、2nd、チーフ、そして監督へと順に上がっていきますが、基本的には上がるごとに“ゼロ”から学び直さなければなりません。その都度、失敗を重ねて学びとるこのプロセスは、想像以上に大変でした。特に3rd助監督時代は「ミスを一つも起こさなかった日はない」というほど。誰でもそうだと思います、たぶん。
イメージ
イメージ
脚本、美術、画面作りまで、
すべてに関わる
現在は、主に監督としてドラマ制作に関わっています。作品全体の舵取りをおこなう監督は、通称“本打ち”と呼ばれる脚本家やプロデューサーとのシナリオ制作から関わり、キャスティングや美術打合せ、衣装合わせや技術打合せといった様々な領域のプロとのやりとりを通じて内容を決定していきます。また、打合せに際しては「脚本にあるこの“企業”とはどの程度の規模なのか」「大企業だとしたらどんなオフィスなのか」「この人物が着るワンピースは明るいのか暗いのか」「番組全体の色味やトーンはどうするか」といった細かい表現まで踏み込み、イメージを共有します。いずれも“答えがない”作業なので、信じられるのは自分の感覚と信念。作品性や伝えるべきことを踏まえて、監督である自分自身が「こうすべきだ」と思ったことを信じ、判断を重ねます。
イメージ
“やれることをやる”ことが、次の現場のヒントになる
共同テレビで育ってよかった点は“できる範囲でやれることをやる”という視点を学べたことです。ドラマ制作の現場は、いつも恵まれた状況だとは限りません。機材トラブルが発生することや、急きょ役者に別の仕事が入ってしまうこともある。そんな中でもやらざるを得ない場面が実はたくさんあるのですが、共同テレビに関わる人と現場は、その“怖さと乗り越え方”をいつも教えてくれたのです。例えば、最近私が経験した現場では、50名来るはずのエキストラが10名しか来ませんでした。役者もスタッフも勢揃いでエキストラだけいない訳ですから、やはり焦りますよね。ところがそこで思い出したのが、助監督時代に見ていた先輩監督の姿。ほとんど同じ状況下で、その先輩監督は撮影や演出の工夫で“10名のエキストラを30名に見せること”に成功していたんです。想定外の状況は、必ず発生するもの。だからこそ、ただ諦めるのではなく“いまできるベストを尽くす方法”を学べたことが、私の大きな糧になっています。
これは、ひょっとしたら個人のキャリアにもいえるかも知れません。ドラマ監督を目指していれば、想像以上のハードルや失敗に出会うでしょう。ですが、そこで諦めてしまっては何も残りません。例えば“10年”と決めて本気で向き合っていれば、きっと壁を越える方法を学べるはず。共同テレビは、個人にチャンスを与えられる環境とパワーがある会社です。諦めたくない方は、ぜひエントリーしてください。
※内容は、すべて取材当時(19年10月時点)のものです
採用サイトTOP >
TOP